第38回 地域活性化推進事業【講演会】
財団設立40周年を迎えました今回の地域活性化推進事業は、名著「水と緑と土」をはじめとして、水田・米・農業・環境にかかわる数多くの著作の著者であり、また、国際コメ年日本委員会副会長でもあられる富山和子先生を迎え、『水と緑の国、日本』-21世紀の地球環境と北海道農業の役割-と題し、講演会を開催いたしました。多くの方にご来場いただき、ありがとうございました。
『水と緑の国、日本』-21世紀の地球環境と北海道農業の役割-
講演概要
評論家、国際コメ年日本委員会副会長 富山 和子 先生
- 第38回地域活性化推進事業 講演会
- 日時:平成16年11月12日(金)13:30~15:30
- 会場:滝川市文化センター
- 入場者:255名
- 土壌の生産力を失った文明は滅びる
- 自然を守るとは自然を利用すること
- 農業が水を使うことは水を作ること
- 水と緑と土は同義語
- 「国土がボランティアで守れますか」-農林業と営む人々があってこそ

講演内容
木ばかり見ないで土を見よ
森林の大切な理由をいうならただ一つ、「土」を見て欲しい。木ばかり見ないで地下も見て欲しいのだ。
水を作り出すのは、土壌である。水は土壌の産物なのである。もう一つ。汚物を処理してくれるのも土壌である。
大気は、ゴミを拡散させるだけである。水も、ゴミを分解処理しない。水は有機物をむしろ保存させる。汚物を分解処理してくれるのは、水でもない大気でもない、土壌なのである。
昔のお百姓さんがあれほど濃い屎尿を畑に撒いても、川は汚れなかった。かえって水が飲めたではないか。土とは何と優れた能力を持っているものかと早く気がつき、謙虚に研究を進めていたら、日本の川の汚染は現在ほどにはひどくならずに済んでいただろう。
土壌の法則-都市市民は何をすべきか
いまから約四億年の昔、最初の生命が海からはい上がってきたとき、地球の陸地はまだがらがらの岩石ばかりの、一切の有機物のない死の世界だった。
最初の生命は、海からはい上がってきた。その原始植物の根は、がらがらの岩と岩とのすき間に食い込んで、岩と岩とをつなぎ止めながら、土になっていく。
これが土壌のはじまりであった。そのようにして土ができると緑が生え、その根は更に岩石をつなぎながら、土を厚くさせていった。こうして、土が厚くなってはじめて、降った雨は土にしみ込み、このときから水が陸地に存在するようになる。水をたっぷりと含んだ土壌は更に緑を育て、それはまた土壌を厚くさせていった。
四億年にわたるこの土壌形成の歴史を通して、一つの法則が存在した。いかなる動植物も土壌の形成に参加し、浸食防止に力を貸した。もしもこれを拒む生物があればその生物の方が滅亡した、という法則であった。
土こそは、人間も参加できる唯一の資源であり、土こそは汚物を処理できる唯一の装置である。そしてその土の形成には、みんなが参加しなければならないという法則だったのである。
参加できない都市の人間はどうするか。参加している農山村の人たちを、せめてバックアップしなければならない。そう教えている法則でもあった。
農業が水を使うことは水を作ること
農業が水を使うということは、実は水を作り出すことなのである。日本のように滝のような急流の川では、放っておけば水は海に捨てられてしまうところを、農業用水が川を堰き止め、水を引いて、広大な面積、大地に水を張り付けてくれる。大地に張り付けてこそ、それは地下水になり川の水になる。それが私たちの使う水資源なのである。都市が水を「消費」するのとは正反対である。もしも農業が水を使わなくなったなら、日本列島はその分、水資源を失うのだ。
自然を守るとは自然を利用すること
いったい自然を守るとは、どういうことだろうか。
自然を守るとは、基本的には自然を利用することである。利用している産業、即ち農業、林業、漁業をまず大切にすることである。もとより利用と食いつぶしは違うことに、ご注意いただきたい。
よく自然を守るとは手を触れないこと、と信じている人がいる。以前に比べればずいぶん少なくなってきたと思うが、それでもまだ、手を触れぬことこそ自然を守ること、と思い込んでいる人がいる。
確かに部分的には、そのような自然保護のあり方も大切である。特定のところを、ここだけは手をつけずに自然の推移にまかせようと。種の保存のために、研究のためになどと。
けれどちょっと考えてみて欲しい。全部が全部手をつけなかったら、どういうことになるだろう。私たち人間は自然を食いつぶして生きている。もしも誰もが自然に手を触れないとしたら、それこそ全員が食いつぶし人間の消費社会になって、地球などあっという間になくなってしまうだろう。
水と緑と土は同義語
私は『水と緑と土』という本を書いた。この言葉は私の作り出した言葉である。私がこの言葉を世に送り出したとき、実に重い意味を込めたつもりであった。
「水と緑と土は同義語である」という意味だ。
なぜなら、水のないところはどこかといえば、砂漠や裸の岩山である。そこには緑も土もない。では、緑のないところはどこかといえば砂漠や裸の岩山であり、そこには水も土もない。では土のないところは、-同じである。水と緑と土はそういう関係にある。それゆえ緑を失った文明は滅びる、という言葉も、水を失った文明は滅びる、でもいいのであり、正確には「土壌の生産力を失った文明は滅びる」というべきである。そして事実、土壌の生産力を失った文明は滅びている。メソポタミア、ギリシャなどの地中海諸国も、中国も、過去に栄えた王国や都市はみなそうである。
それゆえ、いかに豊かな土壌を陸地の斜面に張り付けておくかが、生き残る道である。今日の地球環境問題も、究極にはそこに行きつく。
世界に貢献できるもの
米は、あらゆる食糧の中で最も理想的な作物であった。栄養学的にも保存性にも理想的だが、たった一粒の種籾から二〇〇〇粒も三〇〇〇粒もの実りを上げる。二年で四〇〇万、三年で八〇億、四年で一六兆。こんな作物は他にはない。
その米を、国土に根付かせるべく先祖たちは一つ土地に労働を投じつづけ、そして世界一の土壌を作り上げた。日本の土壌はすでに江戸時代、世界一の豊かさを誇っている。ヨーロッパで一人養うための面積があれば、日本では一五人が養えたのである。
二十一世紀の資源は水と土。世界一豊かな日本の土壌は、地球の財産である。その財産を自らつぶして他国の土壌を掠奪する。残念ながらそれが現在の日本の姿である。日本は世界一の木材輸入国であり、世界一の食糧輸入国であるからだ。
地球環境問題の世界の合言葉は「持続可能な開発」である。いい言葉ではあるけれど何のことはない、日本の農民漁民がつい最近まで、何の不思議もなくごく当然に行ってきたことではないか。とすれば、日本の農民は世界のお手本である。そのお手本を守れないでどうして地球が守れるだろうか。
自己完結型で土壌を養ってきた日本農業の伝統を再評価することこそ、地球が生き残る第一歩ではないか。
私たちは原点に立ち戻って自国の文化を見直し、何が世界に貢献できるかを考える必要がある。